公開日 2023年7月6日 最終更新日 2024年4月27日
2015年に韓国の企業ShowBT Entertainmentが、フィリピンにShowBT Philippinesを設立し、2016年から才能ある現地の若者を探すオーディションを開始した。
合格者は、ボーカルやダンスなどの韓国式トレーニングを受け評価でふるいにかけられ、2018年5月16日、Pablo、Stell、Ken、Josh、Justinの5人がデビューメンバーとして発表された。
SB19 のSBはShowBT のからとったもので、19はフィリピン (+63) と韓国 (+82) の国番号を足したもの(6+3+8+2) で、韓国とフィリピンの協力を意味する。
また、SBは「Sound Break」の略でもあり、フィリピンの音楽シーンに斬新なスタイルと独自の音楽ブランドでブレイクすることを意味している。
本名;John Paulo Nase
生年月日;1994年9月14日
出身地;Imus, Cavite
ポジション;リーダー、メインラッパー、リードボーカル
フィリピン工科大学に通いながらコールセンターでバイトし、卒業後はデータアナリストとして働いたていたが、子供の頃から音楽が好きでコンテストに参加したりしていたことからShowBTのオーディションを受けて、メンバーで最初の練習生になった。
後にPress Hit Playとなるダンスカバーグループ Power House Philippinesにも参加していた。
本名;Josh Cullen Santos
生年月日;1993年10月22日
出身地;Pasig City
ポジション;リードラッパー、リードダンサー、サブボーカル
実の父親には会ったことがなく、母子家庭で育ったJoshは、母親が仕事に行っている間、シッターに暴力を受けていた。その後、家計が苦しくホームレスになった時期もある。
16歳で家出をし、テクニカルサポートの仕事を始めたが、最初の 1 年間は家賃を支払う余裕がなかったため会社の床で寝ていた。働きながら代替教育制度(ALS)を受け、高校の卒業資格を取得。
それからダンスコミュニティーに参加しStellに出会う。StellとJoshが参加していたSE-EONはK-POPのカバーダンス大会によく参加していた強豪チームで、海外の大会にもフィリピン代表として出場している。
Zero To Hero (Z2H) というチームにも参加し、Justinに出会った。
本名;Stellvester Ajero
生年月日;1995年6月16日
出身地;Las Piñas City
ポジション;メインボーカル、リードダンサー
STI College Makatiでホテルとレストラン経営を学びながらファストフード店でバイトしていた。
肺水腫になり、治療の為に叔母が住んでいる日本で6ヶ月間過ごしていたことがある。
ダンスカバーグループSE-EONでは多くの国際大会に出場。JoshとShowBTのオーディションを受け練習生に。
本名;Felip Jhon Suson
生年月日;1997年1月12日
出身地;Pagadian City, Zamboanga del Sur
ポジション;メインダンサー、リードボーカル、リードラッパー
ダンスチームに強制的に参加させられたことで天性の才能に気づき、ダンスカバーグループに参加するようになる。
数々の大会に出場し、Joshに手強い相手として知られていた。これ以上適任な人はいないだろうとJoshがオーディションに誘い合格。Cagayan de Oro Collegeに入学したが、その後フィリピン工科大学建築学科に編入。
本名;Justin De Dios
生年月日;1998年7月7日
出身地:Malabon
ポジション:サブボーカル、ビジュアル、Bunso(末っ子)
ダンスカバーグループ Zero To Hero (Z2h)で知り合ったJoshがオーディションに誘い練習生に。
2018年にデ・ラサール大学セントベニール校を卒業。マルチメディアアート専攻を活かして、クリエイティブディレクターとして活躍している。
元コメディアンで、ファンからは”Tatang Robin”と呼ばれ愛されている、ShowBTグループのCEOであるチョン・ソンハンがエグゼクティブディレクターをしていた時期。
SB19は、ソウルフルなバラード曲「Tilaluha」 という曲でデビュー。
経営陣がメンバーのボーカルスキルを紹介したかったため、このトラックがデビュー曲に選ばれた。
デビュー曲のぬるい反応の後、2nd シングル 「Go Up」でSB19はこれまで経験したすべてを捧げる。
目標を達成するための困難な旅について描かれたこの曲で、若い世代に夢を決して諦めないように促した。
はじめての記者会見を開くが、集まった記者からは外見やセクシュアリティに関する失礼な質問が飛び交った。
Tatang Robinは壇上に上がり、このように語った。
「韓国人の作曲家がフィリピンで流行っている曲をたくさん聴いてSB19のために作ってくれた。韓国語の歌詞があるものを作ったのではなくメロディーはハミングでくれた。作詞はメンバーがしました。プロデューサーとして彼らが韓国を好きなのは嬉しいが、韓国のままやることは望んでいない。彼らは頭から足までフィリピン人。フィリピン音楽をやらなければならなくて、フィリピン音楽で成功しないといけない。フィリピンの作曲家にもたくさん会ったが、私が言語的に意思疎通が難しいので、最初は私が仕事しやすいように韓国の作曲家と仕事します。SB19が有名になれば、たくさんの有名なフィリピンの作曲家が曲を提供してくれるだろう。」
長く厳しいトレーニングを経て待望のデビューを果たしたにもかかわらず、ファンがシェアした「Go Up」のダンス練習動画がTwitterで拡散される運命的な日まで、グループはほとんど注目されないままだった。
彼女の投稿はすぐに注目を集め、SB19のキャリアに躍進をもたらした。
そしてパンデミックさえも、SB19の勢いを止めることはできなかった。
エンブレムの形状はダイヤモンドと風車を融合させたもので、ダイヤモンドの形はファンとの絆を表している。風車は風があると動くことから、SB19は風車であり、風(ファン)のサポートなしでは存在できないことを意味する。
ファンダム名A’TINを発表。
18と発音し、18(A’TIN)が存在しなくては19がこない、そしてATINはタガログ語で”わたしたち”を意味する。
彼らは、自分たちのキャリアの節目や躍進を、応援してくれるA`TINと共有している。
Sony Music Philippinesと契約後初のシングル「Alab (Burning)」は、本当の愛を見つけ、その人を勝ち取るためには必要なことは何でもすると歌ったダンスポップチューン。MVはリリースから3ヶ月で430万再生を突破した。
ロックダウン中にメンバーが自宅で録音して完成させた「Ikako」は、希望と慰めをもたらす贈り物として、最前線で闘う人達に贈られた。
1人でいるときにいつも過去の恋愛を思い出してしまうと歌っている「Hanggang Sa Huli 」のMVには、当初メンバーが登場人物として出演する予定だったが、パンデミックによりJustinがクリエイティブディレクターとしての才能を発揮したアニメーションバージョンのMVを公開した。
SB19はBillboardのYear End Social 50 chart で6位にランクインし、年間チャートでトップ10入りした初の東南アジアのアーティストとなった。
ShowBT PhilippinesのCEO・Charles Kimがエグゼクティブディレクターを務めていた時期。
1st EP「Pagsibol」から最初のシングル。
自己愛とエンパワーメントについて書かれた「What」には、ひとりひとりが持つ自分の旗を誇り高く掲げようというメッセージが込められている。
SB19はBTS, Blackpink, Ariana Grande, SeventeenとともにBillboard Music AwardsのTop Social Artistにノミネートされ、Billboard Music Awardsにノミネートされた初のフィリピン人アーティストとなった。
PabloとSouth BorderのJay Duriasが共同プロデュースした 「MAPA」はすべての親へのオマージュとして母の日と父の日の間にリリースされた。
タイトルは”ママ”と”パパ”を、組み合わせたものでMAPAはタガログ語で地図を意味する。
メロディーはPabloが子供の頃、母が歌ってくれた子守唄から着想を得ており、両親が自分達のためにしてくれたことすべてに感謝し、恩返しをするように人々を鼓舞する内容となっており、両親が人生の指針と方向性として役立つことを暗示している。
2021年にGoogleの世界で最も検索した曲で5位に輝いた。
SB19はこれまでに外見や服装に対する批判、メディアからは韓国の音楽文化をコピーしてK-POPを宣伝し、P-POPを宣伝していないと非難された。彼らが名声を得、スポットライトを浴びる中で直面した困難や憎しみとの闘いについて書かれた「Bazinga」では、自分たちがネガティブなものよりも強い存在であることを知らせた。
11月4日、「Bazinga」がBillboardのHot Trending Songsの24時間ランキングで14位、週間ランキングで20位に入り、SB19はチャートインした最初のフィリピン人アーティストとなった。
最終的に26 週間ランクインし、そのうち 7 週間は 1 位を獲得した。
フィリピンの音楽やカルチャーを世界に広める活動が評価され、National Commission for Culture and the Arts of the Philippines により青少年およびSentro Rizalアンバサダーに任命された。
タガログ語で幸せを意味する「Ligaya」は、ホリデーシーズンを友人や家族と祝うハッピーな曲。
パンデミックで離れていた人々が繋がるをテーマにしたディスコポップトラック「WYAT」は、PabloとJoshua Daniel Naseがプロデュース、JustinがMVのクリエイティブディレクション、Stellが振付を担当。SB19が進化し成長し続けるグループであると証明した。
また、初のワールドツアー「WYAT Tour」を開催し、ドバイ、アメリカ、シンガポールを周った。
不安も雪のように溶けてなくなると歌われている「Nyebe」は、PabloとシンガーソングライターのThyro Alfaroが制作し、”暖かさ、絶望、悲しみを閉じ込めたバラード” と表現されている。
Pabloは、心を落ち着かせる希望に満ちたゴスペルからインスピレーションを得て、家族が互いに離れて休暇を祝ったパンデミック中に、絶望と不安の感情の中で作った。
2nd EP「PAGTATAG!」から最初のシングル。
世界中でダンスチャレンジが大流行している「Gento」の歌詞は、”ganito”(このように)、 “ginto” (金)、”gento”(カビテーニョ語で”このように”) という言葉を組み合わせた言葉遊びでありながら、小さな努力の積み重ねこそが、成功につながるというメッセージを伝えている。
SB19はShowBT Philippinesを離れ、1Z Entertainmentを設立し、セルフマネージメントのグループとなった。
6月9日に開かれた記者会見の際、SB19は、自分たちの会社を設立することも練習生の頃から夢見ていたことを語っている。
2018年のデビュー以来、数々の実績を積み上げ、夢を実現した今、彼らはSB19が世界的に知られることだけを望んでいるのではなく、P-POPやOPM業界全体の成長をさらに向上させるという使命に向かっている。