公開日 2025年9月25日 最終更新日 2025年9月25日
2025年9月、フィリピンは国家を揺るがす大規模な汚職スキャンダルに見舞われました。数十億ドルもの公的資金が、存在しないはずの洪水対策プロジェクトに消えたとされるこの疑惑は、国民の間に燃え盛るような怒りを引き起こしました。
この国家的危機の真っ只中、P-POPシーンの頂点に君臨するグループ、SB19が立ち上がります。彼らは、フォークポップバンドBen&Benとのコラボ曲「Kapangyarihan」(タガログ語で「力」)を武器に、不正に対して明確な「NO」を突きつけました。
それは単なる有名人のコメントではありませんでした。国民の怒りが頂点に達し、かつての「ピープルパワー革命」を彷彿とさせる大規模デモが全国を席巻する中、SB19は自らの影響力を使い、国民の声を増幅させるという決断を下したのです。これは、P-POPが単なるエンターテインメントから、社会を動かす力強いメディアへと成熟した歴史的な瞬間でした。
このスキャンダルの手口は、国民の信頼を根底から裏切るものでした。書類上は完成しているにもかかわらず、実際には存在しない、あるいは手抜き工事だらけのインフラ計画に、多額の税金が注ぎ込まれていたのです。
◆経済的損失:財務省の試算では、わずか3年間で最大約20億米ドルが失われたとされています。
◆人的被害:存在しない堤防のせいで、台風でもないのに町は洪水に見舞われ、多くの人々が財産や生計を失いました。
「素手でセメントを砕ける」とマルコス大統領自身が嘆くほどの劣悪な工事。その一方で、不正に関わったとされる関係者たちは高級車を乗り回す――。このあまりにも鮮烈な対比が、国民の怒りに火をつけました。
スキャンダル発覚後、国民の怒りは爆発します。2025年9月21日、奇しくもマルコス独裁政権下の戒厳令布告から53年目のこの日、首都マニラでは10万人以上が参加する大規模な抗議デモが行われました。
主催者が目指したのは、独裁政権を倒した1986年のピープルパワー革命の再来。学生、宗教団体、そして多くの著名人が立場を超えて集結し、「腐敗を許すな」と声を上げました。このうねりは、SB19のようなアーティストが声を上げるための土壌となったのです
ワールドツアーで日本に滞在していたSB19。しかし、彼らの声は海を越えてフィリピン国民の心に届きました。
2025年9月20日、グループの公式Xアカウントは、「Kapangyarihan」を歌う動画クリップを投稿。画面には「#nagsisilbikadapat(お前は奉仕すべきだ)」という強いメッセージが表示されていました。
Ang tao, ang bayan, ang tunay na kapangyarihan.
(人民、国家こそが真の力である)
このキャプションは、フィリピンの民主化運動で叫ばれてきた象徴的なスローガンであり、彼らのメッセージが路上で抗議する人々と共にあることを明確に示しました。リーダーのパブロとメンバーのジョシュも個人のアカウントで動画を投稿し、グループの揺るぎない姿勢を表明。
さらにSB19は日本公演中に、「Kapangyarihan」を披露。
彼らのフィルターのかかっていない生々しい怒りを象徴し、抗議のインパクトをさらに増幅させました。
SB19が武器として選んだ「Kapangyarihan」は、もともと抗議の歌として生まれました。
この曲の原点は、2020年に起きた警察官による非武装の民間人親子射殺事件。権力の乱用に対するBen&Benの怒りと問いかけが、この曲の核となっています。
2021年、SB19のパブロが共作者として加わり、権力者のおごりを鋭く批判するラップパートを追加。こうして、フィリピンで影響力のある2つのグループによる、強力なアンセムが誕生したのです。
Akala niyo ba,ang kapangyarihan ay nasa inyo Sino ba kayo(力がお前たちのものだとでも思ったのか?一体何様のつもりだ?)
この曲が特定の警察の残虐行為への抗議(2020年)から、一般的な選挙への注意喚起(2022年)、歴史ドラマの主題歌(2024年)、そして最終的に汚職への武器(2025年)へと、時代に合わせて意味を深めてきました。
2022年に「Kapangyarihan」のパフォーマンスビデオが選挙に合わせて公開された際、レコードレーベルはSB19の関与が「いかなる政治家や政党への支持表明でもない」と明確に免責事項を発表しました。これは彼らを社会的に関連性のある曲を歌う中立的なパフォーマーとして位置づけるものでした。
しかし2025年、彼らは同じ曲を積極的に、そして意図的に用いて、汚職スキャンダルに対する政府の対応を鋭く批判する政治的声明を発表しました。これは、彼らの姿勢における重大な進化を示しています。
彼らは、雇われたアーティストから、自らの芸術を武器として行使する政治的アクターへと変貌したのです。この変化は、おそらく三つの要因によって可能になりました。
第一に、自身の事務所である1Z Entertainmentの設立により、完全な創造的・政治的自律性を獲得したこと。
第二に、反汚職という大義が党派を超えたものであったため、「政治」ではなく「原則」に基づいて立場を表明できたこと。
第三に、P-POPのリーダーとしての地位を確立し、そのようなリスクを冒すだけの文化的資本と安定性を手に入れたことです。
SB19は新しい歌を作るのではなく、国民の心にすでにあった「抵抗の歌」を、最も必要とされるタイミングで再活性化させたのです。
SB19の行動に、A’TINとして知られる彼らの熱心なファンベースは即座に、そして力強く応えました。
メッセージは瞬く間に全てのSNSで拡散され、ファンは「アーティストの信念は、その作品ににじみ出る。私のアイドルがそれを持っていることを誇りに思う」といったコメントで彼らの勇気を称えました。
SB19とA’TINの関係は、単なるアーティストとファンの関係を超えています。アーティストが発した「信号」を、高度に組織化されたファンが「増幅」させる。この強固な絆が、彼らの政治的声明を、より広範な国民的抗議活動における重要な文化的瞬間にまで押し上げたのです。
これは、P-POPがフィリピン社会において新たな役割を担い始めたことを示す象徴的な出来事でもあります。
かつて、夢や希望、文化的なプライドを歌ってきたこのジャンルは、今や不正に対して鋭く切り込む、社会的な声となり得ることを証明しました。
SB19は、腐敗した権力者に「真の力はどこにあるのか」を問いかけました。そしてその行動を通じて、自らの芸術、そしてそれを支えるファンの声こそが、社会を動かす「本物の力(Kapangyarihan)」であることを力強く示したのです。